朝日ソノプレス社


 今回は,朝日ソノプレス社,朝日ソノラマの初代代表取締役社長であるアンドレ・キャラビ様にお話を伺いました.


 

1.最初のご来日は

 1955年か56年です.シャルル・アズナブールなど,フランスのデュクレテ・トムソン社のレコードをできるだけ多くの方に紹介するため来日し,日本ディスク※1というレコード会社を作りました.
 

2.朝日ソノプレス社代表取締役社長に就任された経緯をお聞かせ下さい

※1 日本ディスク株式会社.1956年創立,GEグループのCFTH(後のTHOMSON―CSF,Thales)傘下の電機メーカーDUCRETET―THOMSONが制作していたクラシックやイタリア映画のサントラ盤の国内プレス盤などを発売した.
 今話しても信じてもらえないかも知れませんが,最初,私はフランスのSONORAMAとは別に,自分でフォノシートを考えていたんです.それで当時,朝日新聞の企画部長だった衣奈※2さん,この方に手作りの見本を見せたんですが,全く相手にしてもらえませんでした.

 その後,日本ディスクの仕事でパリに行った際,偶然Kiosqueで「音の出る雑誌・SONORAMA」を見付けて驚きました.「私が考えていたのとそっくりだ!」って.でそれを日本へ持ち帰り衣奈さんに見せたところ,今度は「いやーこれは凄い凄い」と.「じゃ私の今までのはどうして…」って言ったら「いやーフランスで出ると全然違う.是非これは朝日新聞でやりましょう!」って(笑).

 あのソノシートのプレス機は特殊な機械で,大変な特許が沢山付いているんですが,それを作っていたのが僕の友人,そう,サイープのルノーさん,ロベール・ルノーの社長,あれは私の親友で,日本ディスクのプレスもこの人と相談しながらやった仕事です.そんなことでソノシートのプレスの日本での権利までは私が持っていましたので,朝日ソノプレス社を作り,設立は確か1959年の9月9日,朝日新聞が7割,私が3割,株主になって,それで代表取締役.そういうことです.

 

3.朝日ソノプレス社時代

 まず,あのソノラマの機械をフランスから持って来なきゃいけないわけですよ.でも重くてどこも乗せてくれない.そこでボーイング社にお願いして,707,ロンドン―東京のパンナムのファーストフライトに乗せたところが,他の乗客がみんな降りちゃいましてね,重過ぎて落ちるんじゃないかって(笑).

 会社はとにかく朝日新聞から専務も来て,最初は朝日新聞の人ばかりで,朝日ソノプレスプロパーの人はなかなか主要ポストに就けないわけです,で私怒っちゃって….でも一人だけ,岩月日出夫さん.彼とはものすごく仲が良くて,彼のうちに行った事もありますし,五十年経った今でも年賀状を出し合っていますよ.

 最初の頃はあまりにも人気が出過ぎて,プレスが間に合わなくなったんです.そうすると事故が多発,溝のない不良品がそのまま配本されて,一時期評判を悪くしたこともありました.でもソノラマが出たことによって,電蓄,レコードプレイヤーが短期間で飛躍的に普及したのは確かですから,そういう電機メーカーにもかなりの恩恵をもたらしたと思います.

※2 衣奈多喜男(1910―88).朝日新聞ローマ支局長,戦後は名古屋本社報道部長,東京本社企画部長,朝日ソノラマ社長などを歴任.
 例えばあの「鉄腕アトム」は120万部ですよ.それからオリンピックのとき,カルピスからオリンピックの5色のシートを頼まれまして,最初は向こうが10万セットぐらいと言っていたんですが,実際には50万セットかな,大変な枚数ですよね.またソノラマの社会貢献としては,吉展ちゃんの事件.あの犯人の声をソノシートに録音して警察に1万枚か2万枚か寄付※3して.私,警察からメダルをもらいました.もう一つは,ケネディ暗殺.これは世界で初めてだと思いますが,暗殺から数日も経たないうちに「音の出る号外」を出して,あれもみんな一生懸命やってくれましたね.
 

4.「STEREORAMA」と「TeD」

※3 犯人からの脅迫電話音声を収録したソノシート2万5千枚が配布され,ソノラマ本誌(NO.43)37年7月号にも特集記事がある.
 ただソノラマは,いろいろと労働組合の問題などがあり,私も少し疲れてしまいまして….その間に朝日ステレオラマ※4という立体印刷の会社を作ったんです,絵が飛び出して見える印刷ですね.ここの設立は70年か69年かな? 私が会長で,衣奈さんは社長.で朝日ソノラマの私の後の社長が衣奈さんです.

※4 「ステレオラマ・STEREORAMA」の商標出願は66年11月26日.
 そのステレオラマもあって,でもなかなか上手く行かずにいたところ,小学館の方とご縁がありまして,私は既に当時からビデオをやりたかったものですから,日本ビデオシステム※5を作りましょうということになり,凸版印刷の社長の鈴木和夫さんと私が役員に就任したんです.ここは日本で初めて正式に営業したビデオディスクの会社です.テルデックシステム,TeDシステムといって,テレフンケンの子会社テルデックが開発したビデオディスク.そう,これもフォノシートですよ.ただし再生時間は10分と限られていました.そのうちに,松下(VHD,開発は日本ビクター)やパイオニア(レーザーディスク,開発はオランダのフィリップス)も出て来て,小学館としての立場や向こうは本物のディスクでしたから「キャラビさん,やはり我々は無理じゃないですか…」ということで.
 

5.シート出版を振り返って

 日本における本格的な視聴覚商品は,ソノシートが初めてだろうと思います.初めて「見て読んで聞いて」の3つが1つになり,それが後のビデオディスクにも使われたわけです,こうした記録媒体の歴史の繋がりは大変興味深いことです.

 私の場合,音楽,映像といった視聴覚分野でアイデアを出し,いろいろと自分で考えて商品化したわけですが,会社の経営については成功ばかりでもありませんでしたので,そういった商品の発案,創作者としての部分が大きかったかと考えています.

 
※5 株式会社日本ビデオシステム開発.TeD方式のビデオディスクの製造,販売を目的に小学館と凸版印刷とが73年3月8日に設立した会社.編集企画室長井川浩.81年2月凸版印刷は持ち株を小学館に譲渡.
 TeDは,70年6月にAEG―テレフンケン(西ドイツの電機メーカー)とテルデック(テレフンケンとデッカの合弁レコード会社)とが開発したビデオディスクの方式で,毎分1500回転の塩化ビニル製シートに記録された信号をピエゾ効果を用いて読み出す接触型のシステム.長時間再生にはオートチェンジャーを利用する.